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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)1208号 判決 1987年11月24日

原告

門村充明

右訴訟代理人弁護士

佐藤優

被告

日本航空株式会社

右代表者代表取締役

山地進

右訴訟代理人弁護士

宮本光雄

大矢勝美

主文

一  被告は原告に対し、金四六七円及びこれに対する昭和六〇年九月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

三  この判決第一項は仮に執行することができる。

事実

第一  申立

一  原告(請求の趣旨)

1  主文一、二項と同旨

2  仮執行宣言

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  主張

一  請求原因

1  原告は被告会社の原動機工場部品工作課に勤務し、訴外日本航空労働組合に所属する者である。

2  原告は、昭和六〇年八月七日、始業時刻午前八時二五分より二二分遅れて午前八時四七分に出勤したところ、同年九月二五日に支払われるべき月額賃金のうち金四六七円を控除された。

3  被告会社の就業規則及び同解釈運用基準には、「遅刻」と「無届不就労」とを区別され、前者は病気、交通事故その他社会通念上やむをえないと認められる理由で当該所定勤務の一部を就業しない場合をいい、理由を付して願い出があり、会社がこれを認めた場合をさし、これに反し正当の理由のないものは無届不就労として扱う旨の規定がある。

そして、被告と前記組合間の労働協約により、組合員が所定の手続により会社の承認を得た遅刻については、賃金カットもされないし懲戒処分の対象ともならないとされている。

4  しかして原告は、前記遅刻につき、所定の手続により所属長の承認を得た。すなわち

(1) 原告は、右遅刻当日上司の古内係長と話合いをもつたが物別れに終つたため、翌八日、原告が所属する前同組合のメインテナンスセンター支部委員である訴外木田に右経過を説明したところ、同人は、「もう一度聞いてみる」旨原告に告げた。

(2) 同月一四日、原告は訴外木田に対し、同人より古内係長と話合つたとの報告がなかつたため、再度話合いをすることを申し入れたところ、同人は、同日同係長と話合つた。

(3) その後、同係長は原告に対し、「一応はんこは押す」との回答をし、同日の午前中に承認印は押された。

(4) 右のように所属長が原告のタイムカードに承認印を押したことは、とりもなおさず被告が原告に対し遅刻として承認したことを意味するから、これを無届不就労として賃金カットをすることは前記労働協約に反し許されない。

(5) また、遅刻として取扱われるか否かは当該労働者にとつて重大な問題であるから、被告会社による恣意的な取扱いは許されない。すなわち、古内係長は原告が遅刻の承認を求めたのに対し、一旦これを拒否したにもかかわらず、労働組合の役員である木田が同じ要求をすると、一転してこれを承認し、その手続をタイムカード上に行い、原告にも告知した。ところが、月例賃金を受取つてみると賃金カットされていたというのが本件であつて、このような陰湿で、前近代的行為が、日本を代表する被告会社の内部において今後繰り返されてはならない。

右のように、本件賃金カットは、原告に事前に知らされることなく闇打ち的に行われている。労働者にとつて不利益的処分をする際に、事前に告知すべきであるとの近代的労使関係の原則に照らしても、被告会社による賃金カットは許されない。

5  以上により、原告の本件遅刻は賃金カットの事由にはならないから、原告は被告に対し、昭和六〇年九月二五日支払われるべき月額賃金のうち金四六七円及びこれに対する支払期限の翌日である同月二六日から支払い済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1、2、3の事実はいずれも認める。

2  同4の事実中、古内係長が所属長印欄に押印したことは認めるが、その余は否認する。被告は原告の本件遅れを遅刻として承認した事実はない。すなわち、

(1) 原告は、昭和六〇年八月七日、始業時刻が午前八時二五分であるところ、二二分遅れ、午前八時四七分に出勤してきたが、これに先立つ午前八時二四分頃、原告から電話で古内係長に対し、「横浜駅から京浜急行快速に乗り、京浜川崎駅で降りるところ、考え事をしていたので品川まで乗り越してしまい遅れる。」旨の連絡があつた。

(2) 午前八時四七分に出勤してきた原告は、自らのタイムカードに「遅刻(電車乗り越し)」と記入し、古内係長に提出して遅刻についての承認を求めてきたので、同係長は、「就業規則の定め並びに課長がすでに君に話したとおり、本人の責任による遅刻は遅刻として認められない。不就労とする。しかし、もし年休を申請するなら認める。」旨述べたところ、原告は、「年休は余り残つていないので申請はしない。」とのことであつたので、係長は、それなら無届不就労であり、遅刻とはしない旨再度述べ、これを不服とする原告との間で約一〇分間話し合つたが、原告は納得しないまゝ終つた。

(3) ところで、原告は、記録に残つているだけでも昭和五二年一〇月一日以降、無届不就労、遅刻を繰返すなど勤怠著しく不良であり、そのため同五三年五月二六日工場長注意、同五五年四月二八日第二回工場長注意、同五六年九月二二日工場長訓戒、同五八年三月二九日本部長戒告を受け、それでもなお改まらないため同五九年七月二五日出勤停止五日の懲戒処分を受けているが、右の懲戒処分を受ける前の昭和五九年四月二六日、上司である磯上課長ならびに総務課長は原告に対し、電車乗り越し、寝坊等自己の責任に起因する遅れはすべて無届不就労とする、体調が悪いといつた場合にはその取扱いは会社が判断すると通告したほか、病欠、年休等これまで原告についてとかく問題があつた勤怠上の取り扱いについて申し渡し、本人に改善を求めていた。

(4) 右のような経過があつたため、昭和六〇年八月七日の本件当日、古内係長が遅刻として認めず、無届不就労として処理したのは当然であつた。

その後同月一二日、古内係長は無届不就労としての確認印を押捺したが、その際原告の記載した「遅刻(電車乗り越し)」を抹消し、「無届不就労」と記載すべきであつたのを、同人のミスによりそのまま押印してしまつたため、同月末賃金カットに必要な業務離脱記録報告書を作成提出したところ、所管部署よりタイムカードが直つていない旨指摘を受けた。そこでこれを「無届不就労」と訂正したものである。

右のとおり、古内係長は一貫して遅刻の承認はしないとの態度を維持していたのであつて、同人が前記押印をしたからといつて、自動的に遅刻を承認したこととなるものではない。

3  請求原因5は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1、2、3の事実、並びに同4の事実中、古内係長が原告のタイムカードの所属長印欄に押印したことはいずれも当事者間に争いがない。

二そこで、原告が昭和六〇年八月七日(以下、これを本件当日という。)始業時刻を二二分間遅れて出勤したことにつき、被告がこれを遅刻として承認したか否かについて判断する。

1  右争いのない事実に、<証拠>を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(1)  原告は、昭和六〇年八月七日、出勤途上の電車内で考え事をしていて降車駅を乗り過し、始業時刻に遅れそうになつたので、午前八時二四分ころ原告の所属する部品工作課第一係長古内博明に架電してその旨伝え、始業時刻を二二分遅れて午前八時四七分出勤した。次いで原告は、自己のタイムカードに「遅刻(電車乗り越し)」と記入して同係長にこれを提出し遅刻の承認を求めたが、同人は本人の不注意が原因だから遅刻とは認められない旨回答した。原告はこれに納得せず、右態度を変えない同係長と押し問答をして別れた。

ところで原告は、昭和五二年ころから遅刻や無届不就労を繰返し、これまでにも五回にわたる処分を受けており、昭和五九年四月二六日には所属課長から本件と同様の電車乗り越しや寝坊等による出勤遅れは遅刻とは認めず、すべて無届不就労として扱う旨注意を受けていたが、同係長としても右の事情を知つていたので、本件当日の原告の遅れについても前記のとおり回答したものである。また、同係長は、被告会社内部において原告の勤務に関し右と同旨の取扱要領があることも熟知していたが、現実に遅刻としての承認を求めてきたのに対してこれを認めずに無届不就労とすることは同係長にとつて初めての事例であつた(なお、<証拠>によれば、同係長が過去に原告からの年休の請求に対しこれを不就労と訂正した事例はあることが認められるが、右の訂正がなされた時期については明らかでない。)ため、念のため総務課へ確認しようと考え、たまたま担当者が休暇中で連絡がとれなかつたので、当日は原告のタイムカードをそのままにし、前記「遅刻」の記載を無届不就労と訂正することもなく、また直ちに所属長印欄に押印することもしなかつた。

(2)  一方、古内係長の前記回答に納得しない原告は、翌日(昭和六〇年八月八日)原告の所属する日本航空労働組合メンテナンスセンター支部の執行委員であつた木田広に本件遅刻の問題で会社側と話合をしてほしい旨申入れ、これを受けた同人は、同月一四日古内係長と面談して事情説明を求めたが、同係長は右木田に対しても原告の本件当日の遅れを遅刻としては認められない旨告げた。右木田は、これに対して格別異を唱えることなくその場をひきさがつた。

ところが、その後約一時間ほどして、同係長は右木田のもとへやつて来て「一応判こは押す。」と言つたので、右木田は原告に対しすぐにタイムカードを持つて行くよう伝えたところ、原告は、本件当日自己が遅刻の承認を申し入れても聞き入れられなかつたのに、一週間も経て、しかも右木田が面談した直後に右押印がなされることとなつたとして憤りを覚え、同係長を詰問すべく赴いた。これに対し同係長の右押印に関する説明が原告を納得させるものではなかつたため、同係長はさらに同日午後原告を総務課に連れて行き、原告の勤務に関する前記取扱要領を原告に示して説明したが、原告はここでも承服しなかつた。

(3)  原告は、前同日昼ころ自己のタイムカードに古内係長の押印がなされていることを確認したが、前記木田はもとより原告も右の押印がなされる時には居合わせなかつた。そして、同係長が右押捺をする際、原告の前記「遅刻」の記載部分を無届不就労と訂正しなかつたため、同記載部分はそのまま放置された。さらにその後同年八月末に所属従業員のタイムカードをとりまとめて総務課へ提出するときも右の訂正はなされず、同年九月に入つてから総務課の指摘により同課の担当者によつてようやく右の訂正がなされたものである。そして右訂正後のタイムカードと業務離脱記録報告書を基礎にして同月二五日に支給すべき原告の賃金から原告主張の金員の控除がなされた。

以上の事実を認めることができ、前記証人古内博明の証言及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は措信できず、ほかにはこれを覆えすに足りる証拠はない。

2  右認定事実によれば、古内係長は原告や前記木田に対し口頭では原告の本件当日の遅れを遅刻として承認しない旨告知していたことが明らかである。

しかるに同係長は、原告のタイムカードの前記「遅刻」の記載部分を何ら訂正することなくその所属長印欄に押印したものであるところ、この点に関し、前記古内証人は、右の訂正をしなかつたのは自分のミスである旨証言するが、同係長は、前認定のとおり原告の勤務に関する前記取扱要領があることを熟知し、本件当日にも原告に対し遅刻とは認めない旨明言して原告と押し問答をしたうえ、右の訂正手続につき念のため総務課へ確認の連絡すらとつている(なお、同証人の証言によると、同係長が本件当日後現実に総務課へ電話確認をした事実も認められる。)のであつて、右のような事実経過に照らすと、同証人がミスで右の訂正をし忘れた旨証言する部分はたやすく措信することができない。

また、同証人は、右の押印の趣旨は遅刻としての承認印ではなく、無届不就労としての確認印の意味である旨証言するが、「遅刻」の記載部分を残したままで無届不就労の確認をしたというのはいかにも不自然であつて信用できない。

してみると、同係長は原告や右木田に相対したときは口頭で遅刻を承認しないと明言しながら、同人らの居合わせないところで前記押印をし、かつ、右の押捺をするときには何らの訂正や留保もなく自らの意思でこれをなしたものであつて、右押印が同係長の過失によつてなされたともいえない以上、他に特段の事情が認められない本件においては、同係長が右の押印をしたことによつて、原告に対し遅刻の承認の意思表示をしたものと認めざるをえない。もとより原告が本件当日始業時刻に遅れた事由そのものは、前認定のとおり被告会社の前記就業規則及び同解釈運用基準に定める正当な理由に該らないことが明らかである。にもかかわらず、自己の非を顧みることなく正当な遅刻としての承認を得ようとした原告の態度にそもそも問題があるが、他方、同係長は、右の事情を十分認識しつつ結局は前記押印をしたのであるから、原告の本件当日の出勤遅れに本来遅刻として承認すべからざる事由があつたとしても、これが同係長のなした右押印の効力に何ら消長をきたすものではない(この意味において、原告の右の如き態度と同様、被告側の労務管理体制にも少なからぬ問題があつたといわざるをえない。)。

なお、同係長による右の押印後被告会社内部において、賃金査定の段階で原告のタイムカードが無届不就労と訂正されたことも前記のとおりであるが、<証拠>によると、被告会社の内規においては、タイムカードが勤務管理担当課に収集された後は年次有給休暇・欠勤等の承認印もれの追認は原則として認められず、タイムカードにおける所属長の承認印はその押捺によつて完結するとの取扱いになつていることが認められ、右内規の趣旨からしても、本件における右の事後的な訂正が人事管理上適切な措置であつたとはいい難く、かつ、これが古内係長のなした前記押印の効果に影響を及ぼすものともいい得ない。

三以上によれば、原告の本件当日の出勤遅れは所属長による遅刻の承認を得たものとして賃金控除の事由とはならず、被告においてこれを支払う義務があるというべきであるから、被告に対し、右の控除された賃金四六七円と、これに対する支払期の翌日である昭和六〇年九月二六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は理由がある。

よつて、原告の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官大和陽一郎)

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